古賀政男と原阿佐緒 つづき

この映画に主題歌が要るからと、阿佐緒は自分で「あけみの歌」を書きます。昭和7年、阿佐緒は幼児を背中に負って、コロムビア本社に古賀政男を訪ねて、作曲を依頼します。見れば歌詞には「あけみかなしや 何処へ行く/恋にも世にも敗れ果てて/せめて子のため ながらえよ/ああああ あけみ 何処へ行く」などとあります。この姿と、子どもと生きる苦労話に、古賀は打たれ、承諾します。その夜から作曲にとりかかった古賀は、自分を育てるのに苦労した母の姿を重ね、「ギターの胴を涙で濡らしながら曲を書いた」(自伝や関係者の話)のでした。今聞いてもなかなかいい旋律で、歌は長く歌われましたが、映画のほうはさっぱり客が入らず、とうとうプロダクションもつぶれてしまいました。女優の夢破れた阿佐緒は、故郷へ引き上げ、世間からも忘れられてしまいます。実は、阿佐緒の次男は「事件記者」などにも出演した、人気俳優・原保美で、この人の夫人が阿佐緒の晩年のめんどうをみたようです。
阿佐緒は昭和44年、82歳で亡くなりますが、最晩年にはふたたびまわりに人が集まり、歌碑もでき、没後25年たって、生家が「原阿佐緒記念館」になりました。石原博士は、昭和22年、66歳で、原保美も平成9年、82歳で没。
ところで、阿佐緒が古賀に面会した昭和7年というと、長男・千秋は25歳、保美は17歳。阿佐緒が背に負っていた幼児とは、いったいだれなのか。石原との間にも、またまた子どもをもうけたのかと思い、念のため記念館に問い合わせたところ、答えは意外でした。「二度目の離婚の後、阿佐緒は病気で不妊のからだになったので、石原との子ということはあり得ません。その子がだれなのか、当方でもわかりかねます」。
さあ、この子の正体は? 私はいまのところ、こう推察しています。かねて「センチメンタリスト」を自認し、涙もろいことで有名だった古賀政男を相手に、阿佐緒がだれかの子どもを借りて、一芝居打ったな! なにしろ女優志願の人でしたから。昭和53年に73歳で死んだ古賀は、真相を知らないままだったのでしょうか。なにしろ、かく申す私めが生まれる2年前の、フルーイお話でした。あーシンド。それにしても昔の女の人はスゴイなあ。
★阿佐緒の写真を見てみたい方は、こちらただし、ここの年表はなぜか没年が違っています。
by yagi070 | 2005-03-20 22:50 |
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