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ミヤコ蝶々さん

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なんば高島屋の「女ひとり ミヤコ蝶々展」(10月3日まで)を見てきました。80歳で亡くなられて、もう5年。
蝶々さんには、3回インタビューしました。3回目は中座の楽屋で、蝶々さんは腰を痛めていました。カメラマンの撮影がすむと、蝶々さんは「腰がどうもならんねん。すんまへんけど、横にならしてもろて、よろしいか」。横になった蝶々さんを前に、私が座って話し始めたのですが「どうも、ぐあいが悪いなあ。あんたも横になってくれはったら、やりやすいねんけど」。そこで、私も蝶々さんと並んでゴロリ。現役時代、1000人近い人にインタビューしましたが「ゴロ寝インタビュー」というのは、後にも先にも、このときだけです。
台本の字が読めないので「これ、なんという字?」と聞いているうちに、相方の芸名が「南都雄二」になった、という有名な話になりました。すると、蝶々さんは「いまでも、むずかしい漢字は苦手でねえ。台本も全部ひらがなで書いてもろたら、ありがたいのやけど、それでは”いしや”が、医者か石屋か、わからん」。石屋が台本に登場するとも思えませんが、実は、自分が墓石屋さんのCMに出演していたことが、ちゃんとふくませてあるのです。女ひとり、さまざまな山谷を越えてきた蝶々さんの話は、尽きることを知らず、その一つ一つが実におもしろい。会うたびに、一日中聞いていたいような気がしたものです。こういってはなんですが、若い駆け出し女優の、背伸びしたような話とは、くらべものになりませんでした。
by yagi070 | 2005-09-28 19:08 | ひと

塚本邦雄さんのこと 1

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東大阪玉泉院で営まれた歌人・塚本邦雄さん(9日、84歳で死去。玲瓏院神変日授居士)の葬儀に参列してきました。梅雨入りのあととは思えぬ晴れて蒸し暑い日で、こういう天気は塚本さんは一番苦手だったなあ、と思い出しました。喪主の作家・青史さんが、よく知られた歌「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」をひいて、「6月になると父は日本を脱出して海外へ出かけていましたが、こんどはもっと遠くに脱出してしまいました」とあいさつ。馬場あき子、岡井隆、福島繁樹、篠弘氏ら錚々たる歌人の弔辞を聞いていると、いまさらながらに戦後歌壇での塚本さんの業績の大きさを知らされました。
でも、正直なところ、私には塚本さんの歌は難解で、よくわかりません。塚本さんと短歌の話などしたことは、一度もありません。そういう付き合いでした。昔、桑原武夫さんが「人をアドマイアできない人は、つまらない人だ」と話されるのを聞いたことがあります。人は人に傾倒し惚れぬいてこそ成長できる、ということなのでしょう。すると、私はまさしく、その「つまらない人」です。私はどうも、特定の人に傾倒し、入れ込むということができない性分です。大学で卒論に選んだ太宰治も、傾倒するというところまではいきませんでした。むしろ、こういう人物と付き合うのはゴメンだと思いました。そんな調子ですから、私には親分も子分もなし。先輩からはよく「おまえは人のふところにとびこむということをしないなあ」と言われました。
そんな難儀な私が、今にして思うと、塚本さんから大きな影響を受けたのが不思議なくらいです。短歌や文学の話などろくにしないまま、いつのまにやら感化されたのでした。
by yagi070 | 2005-06-13 23:13 | ひと

楊貴妃と富士正晴さん

サクラの「楊貴妃」で、思い出した話があります。ずいぶん昔、新聞の企画で、素人の若い人が有名人を訪ねて話し合う、というのがあり、私は詩人で作家の富士正晴さんを担当しました。富士さんが「ええで。連れといで」と快諾してくれたので、約束した日に、数人の男女学生を連れて、茨木の竹やぶの中のお宅を訪ねました。ところが富士さんは、あれだけ頼んでおいたのに、酔っ払ってフトンに入ったまま。いくら呼んでも起きようともしません。
さて、白楽天の「長恨歌」には、楊貴妃が玄宗皇帝から賜った温泉に入るくだりがあります。そばに仕える少女たちが湯の中から楊貴妃をささえて立たせようとすると、なよなよとして、それがまたなんともなまめかしい。そこのところを白楽天は「侍児(じじ)、扶(たすけ)起さんとするに、嬌(きょう)として力無く」と、たった七文字で表現します。
私は意を決して、富士さんのフトンをめくり、抱き起こしましたが、ムニャムニャいうばかりでシャンとしません。そこで、耳元で「爺(じじい)たすけ起さんとするに嬌として力なし、ですな」とささやきました。とたんに富士さんはパッと目を開いて「何をぬかすか」。それから席に着くと、女子学生に「きれいなネエチャンやな。あんた、誰や」と、ごきげんで取材に応じてくれました。
もっとも、学生たちが何をたずねても「みんな好きなように生きたらええのや」などという、雲をつかむような返事ばかりで、話はさっぱりカミ合いませんでしたが、記事は、私がつじつまを合わせました。「ジジイ、たすけ起こす」のことは、学生たちにはチンプンカンプンなので、あとで私が説明しました。そのキレイな女子学生が、のちに「タコヤキの研究」で名をあげた、タコヤキストの熊谷真菜・日本コナモン協会会長です。熊谷さんにインタビューしたとき、あのときの学生です、といわれて驚きました。「よけいなことをブログに書くなー」という、富士さんの声が天から降ってきそうです。
by yagi070 | 2005-04-14 22:07 | ひと